おしらせ

地図の歴史

2013年08月23日

地図の歴史とは

 地図は文字よりも昔から存在した表現方法だといわれています。どこに何があるのかという情報は古代から変わらず人類にとって生活する上で重要な情報です。
 地図の歴史とは、測量技術、印刷、デジタル化など地図の情報量を増加させる技術の進歩の歴史であると同時に、その制限された情報量の中で、その時代の人々が何を地図に載せてきたかという歴史でもあります。
 地図には使っていた時代の人々の求めていたもの、行動範囲、技術力などが反映され、地図の歴史を辿ることはそのまま人類の歴史を辿ることと言えるかもしれません。
 いくつかの代表的な地図を例にして、地図の変遷の概要を年代ごとに記述します。

年代ごとの代表的な地図

バビロニアの粘土板地図 紀元前13世紀頃
Baylonianmaps

 現存する最古の世界地図であるバビロニアの粘土板世界地図です。中央の円の中にはバビロニアと周辺地域を含む陸地が描かれており、それを取り囲む海洋とさらにその外側に死後の世界とされる陸地が描かれています。
 地理的に正しいのは行動範囲のバビロニア周辺だけであり、それ以外は遠方の人に聞いたこと、想像上の知識を合わせて当時の人が考える世界を表しています。

古代ギリシア エラトステネスの地図 紀元前3世紀頃
Mappa_di_Eratostene

 古代ギリシアでは天文学の発展により、他の地域が地球を平面と考える中、地球を球体であると考えていました。その考えはそのとき描かれていた地図にも表れています。自然を観測し、そこから法則を導くという近代科学の基礎となる考えに基づく文化、思想が発展し、学問としての地図製作が行われました。
 エラトステネスは地球が球体であることを前提に世界地図を描き、地点を表すために南北、東西に走る線を導入しました。このときの線は主要な場所の位置の目印にするための不等間隔なものでしたが、これが改良されて等間隔に並ぶ経緯度線が作られます。
 他にもエラトステネスは太陽高度を測定することで地球の大きさも求めており、その時基準点とした都市シエネ上にも経線が描かれています。

プトレマイオスの地図 紀元前2世紀頃
プトレマイオスの地図

 古代ギリシアの地図からさらに精度がよくなり、特に実際に測量できたところはかなり正確に表現されています。球体である地球を平面に描くため、投影法として円錐図法が使われ、緯度経度の概念も導入されています。
 遠方については伝聞の情報を使ったためズレがおおきくなり、特に東西方向については当時、経度の測定が困難であったことから実際よりも長くなっています。

ポインティンガー図  紀元前1世紀頃
TabulaPeutingeriana

 実際の地形とは大きく異なって書かれていますが、道路と町の接続関係などは正しくかかれています。地図には道路の距離や宿屋などの情報も書かれており、これをもとに旅をすれば迷わず安全に目的地に到着することが可能でした。実際の地形をゆがめて書くことで、道路の接続関係は見やすくなっており、目的地に到達するために特化された地図といえます。右の画像は一部を切り取ったものです。
 ローマでは実用的、実践的な科学の研究がおこなわれ、ギリシアの知の探求といった思想は薄れましたが技術的には発展しました。

マッパ・ムンディ 6~13世紀頃
530px-Hereford_Mappa_Mundi_1300

 中世ヨーロッパではキリスト教的な世界観が支配的になり、地図も宗教的な色彩を持つ物が作成されました。地理的な情報は町の位置関係程度になり、空想上の場所と一緒に描かれることで、情報としては分かりにくくなっています。しかしキリスト教の逸話や聖書に登場する場所など詳しく盛り込まれており、教会などに飾られることでキリスト教の教義をより分かりやすく、視覚的に示すことに役立っていました。
 大規模な戦争も少なく、貿易も狭い範囲で行われたため、地図の精度は重要でなかったことがわかります。

ポルトラノ 13世紀頃
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 マッパ・ムンディと同年代の地図ですが、実際の航海のための地図なのでキリスト教的な情報が少なくなっています。地図には港間の距離と方角が描かれ、その方向に進むと目的の港に到着するよう作られています。投影法などは用いられておらず広い海域の航行では使えませんが、沿岸航法とともに同時期に広まった羅針盤と合わせて、航海の安全性を向上させました。主に地中海での航海に使われていたようです。

イドリースィーの円形世界地図 12世紀頃
Al-Idrisi's_world_map

 イスラム文化圏ではヨーロッパと違いアジアでの広域な貿易が行われていたため、古代ギリシアの知見に影響された地図が作られていました。イスラム文化圏では南が正面であると考えていたため、南が上の地図がつくられており、イドリースィーが作成した円形世界図も南が上として描かれています。
 アラビア半島周辺は正確に描かれていますが、インド半島が描かれていないことなどはプトレマイオスの地図の影響が続いていると考えられています。

大航海時代の地図 15~16世紀頃
Mercator_World_Map

 ヨーロッパにおける貿易や支配のため、新航路の開拓が大幅にすすめられた時代です。海岸線に沿って航行する場合のために、正確な測量と海岸線の地図がつくられました。
 発見した航路を独占するため、各国は競って新しい航路の発見を急ぎました。そうした中でいくつもの投影法が発明され、船の現在地から目的地に到達するための航路を示すメルカトル図が作られます。何も目印のない海上で現在地を特定し、目的地まで行くためには正確な地図が必須でした。

伊能忠敬の地図 19世紀
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西洋の測量技術が伝わった日本においては、同時にもたらされた外国の脅威への防衛のため、伊能忠敬を中心に日本の測量に基づく正確な地図がはじめて作成されました。現代の地図と比べても遜色がないほどの正確さで作成された地図になっています。
 国土地理院のホームページで閲覧することができます。

現代

 コンピュータによるデジタルマップの登場で、目的に合わせて様々な地図を動的に切り替えることが可能になり、地図に盛り込むことができる情報量が爆発的に増加しました。 地図の利用者はスマートフォンなどの携帯端末でどこでも地図を表示させることができ、GPSによって現在地の特定も容易になりました。さらにこうした利用者の情報を収集することで新たな地理的な情報を取得できます。
 移動手段と測量技術の進歩で地図に描かれる地形の大幅な変更はなくなりましたが、利用者と必要とされる情報の増加により、様々な目的に合わせた多くの地図が作られています。

参考:
「地図の文化史 -世界と日本-」 海野一隆
「伊能大図彩色図の閲覧」 http://www.gsi.go.jp/MAP/KOTIZU/sisak/ino-main.html 国土地理院